マチュピチュ、ナスカ、クスコ、リマを訪ねて
空中都市 マチュピチュ
4日目 今日は待望のマチュピチュ しかし2日ほど前、大雨で土砂崩れが発生し、マチュピチュへの登山道路が寸断され バスがピストン輸送し、土砂崩れの部分は徒歩で歩かざるを得ないという話だった。 |
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ウルバンバ川の両側には絶壁が |
そして川には雨期に入っているため濁流が |
これが土砂崩れによる崩壊ここでバスから降りて 急な山道を10分ほど歩く |
バスを3回乗り継いで遺跡の入り口へ到着 たくさんの人だ |
遺跡に入ると石垣の連続。 最初は左側の急な階段を上がって 展望台に向かう |
後ろを振り返ると先ほど通ってきたウルバンバ川沿いの道が はるか下の方に見える |
展望台に登るとマチュピチュ遺跡の全景が広がる。この景色を見るためにこのツアーに参加したとも言える。 16世紀前半スペインによってインカ帝国が征服されると スペイン軍はインカの都市をことごとく破壊尽くした。 標高2400mのマチュピチュはスペイン軍に見つかることなくほぼ無傷のまま残された。 400年近く経過した1911年ハイラム・ビンガムによって発見報告されたときには、 マチュピチュは草に埋もれていた。 |
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ここに10分ほど座って感動のひとときに浸る 本当に来て良かった |
望遠でアップするとたくさんの人たちが |
展望台からおりて門をくぐる 石組みの上部と左に穴とくぼみがある。 扉を取り付けていたと考えられている。 |
太陽の神殿を上から見たところ |
三角の石組みは屋根の梁を渡した |
3つの窓の神殿 |
主神殿 400年もの間放置されていたために雨水の排水が 不充分であったため亀裂がはいったと考えられる |
インテワタナ(日時計) 太陽をつなぎ止める石 遺跡の最も高いところにある |
後方はマチュピチュ(老いた峰) |
メイン広場 |
ワイナピチュ(若い峰) この山に登りたいと考えていたが ツアーでは無理 午前8時に200人、10時に200人だか 1日400人に制限されているとのこと |
コンドルの神殿 中央が頭部、後方が翼を表している |
頭部の岩 リャマを生け贄として捧げた流れ出た血はくちばしの隙間から 地面にしみこんでいく |
南側の段々畑 トウモロコシやジャガイモが栽培された |
段々畑にはリャマが草を食べていた |
リャマ アルパカと似ているが、大きな耳が立っている 毛もアルパカより少ない 主として荷物の運搬に使われた |
遺跡の入り口に1軒だけレストランがある そこに戻って昼食 手前はピーマンの挽肉詰め おいしかった |
民族衣装を着たグループが 「コンドルは飛んでく」「上を向いて歩こう」 など演奏してくれた |
昼食後 インカ道のトレッキング 道は緩やかな勾配で石畳になっており 歩きやすい |
マチュピチュの遺跡も大分下の方になっていく |
マチュピチュ村から登ってくる くねくね曲がった道路も霧の合間に見える |
目的のインテプンク(太陽の門) 片道約1時間 途中から小雨も降ってきたが たいしたこともなく到着 |
木の幹にはランの仲間 |
遺跡の石の壁には赤いゼラニウム |
不明 |
「トウモロコシ・トウモロコシ」という花だそうだ |
カルセオラリアの1種 |
不明 |
ウニャイワイナ(いつまでも若く)とか 現地ガイドの説明 |
不明 |
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