エジプト旅行記
エジプトぐるり周遊13日間
アスワンとアブシンベル
イシス神殿 以前はフィラエ島にあったがアスワンダムを作ったことにより水中に没するようになってしまった。 そこでユネスコの遺跡救済キャンペーンによって隣のアギルキア島に位置関係などそっくりそのまま移築されたそうだ。 この神殿も多くの建物はプトレマイオス朝(BC300年ころ)のものだそうだ。 船から見るイシス神殿は美しい。 |
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![]() 神の像の顔の部分が消されキリスト教の十字架が刻まれている。 |
![]() 柱のレリーフが見事であった |
アスワンからアブシンベルへはバスで移動した。約3時間、途中の砂漠では黒い岩石(玄武岩?)が風化されずに残り富士山のような形の山がいくつも見えた。 | ![]() |
アブシンベル神殿(ラメセス2世大神殿) この神殿はラメセス2世(BC1275年ころ)が造営したものであり、至聖所にある4体の像が示すように、プタハ神、アメン・ラー神、神格化したラメセス2世、ラー・ホルアクティー神の4体の神に捧げられた神殿である。 神殿の入り口に立つ巨大な像は4つともラメセス2世の像である。 アスワンハイダムを作ろうとしたとき、完成すればそのダムによって水没することが明らかになり、世界中を驚愕させた。 この神殿を救うため世界中から救済案が提案された。その中で、神殿を小さなブロックに切断して移転するというスエーデンの案が採択され、元あった位置から西へ110m、北へ64m移動させることを決めた。近代科学を駆使して現在の位置に移動したという。 小さなブロックに切断したという跡がわからないくらいであった。 |
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![]() ラムセス2世の像の欠けた頭部が足下に |
![]() 神殿の入り口の鍵 |
アブシンベル小神殿(ハトホル神殿) ラメセス2世が王妃ネフェルタリのために造営した神殿である。至聖所にはハトホル神が祀ってある。 この小神殿も大神殿同様移転したものである。 |
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光と音のショー この日夕刻からアブシンベル神殿の光と音のショーを見ることができた。 ライトアップされた神殿のみならず、神殿の岩山をスクリーンとしたスライドショーは見事であった。 |
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12月1日(木) 五日目 翌日(12月1日)アブシンベル神殿の夜明け、日の出を見ることもできた。 ナセル湖に上がる朝日がきれいであった。 |
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砂漠に緑を作るトシュカ・プロジェクト 朝食後バスでアスワンへ、途中の砂漠の中に巨大な水路があった。 ナセル湖(アスワンハイダムの湖)の西にあるトシュカ低地を灌漑するためにアスワンハイダムの水を運ぶ水路だ。 水を送るポンプは日本製だそうだ。 |
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アスワンで最初に見学したのはパピルスのお店。パピルスの紙に絵を描きそれを販売していた。 | |
![]() この緑の植物がパピルス。これを薄く切って重ねて紙を作る |
![]() パピルスで作った紙 |
アスワンの切りかけのオベリスク 続いてアスワンでは石切場に行き、切りかけのオベリスクを見た。 途中に割れ目が出て、そこで中止したのだろうといわれている。 赤みを帯びた花崗岩を機械もない時代によくここまで掘ったものだと感心させられた。 夕方5:30 アスワンから寝台特急ナイルエキスプレスでカイロへ向かった |
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