タイ アユタヤ
バンコク・アユタヤ遺跡を訪ねて
アユタヤ遺跡を訪ねて
バンパイン宮殿 最初はアユタヤ遺跡に向かう途中でバンパイン宮殿を見学する。 バンパイン宮殿は632年プラサート・トーン王によって建造、その後もアユタヤ王朝の 歴代君主が夏の離宮として使用、王朝の滅亡後荒廃した。ラーマ4世が再建。 チャオプラヤー川の中州にある。敷地は広い。 沿道は様々な木が |
![]() |
![]() 香りの良いリラワリー |
![]() マンゴーの木からたくさんの実が |
必見は湖の中央にあるタイ風建築のアイサワン・ティッパート (別名水上パレス) |
![]() |
アユタヤ日本人村 山田長政(現・静岡県伊豆の国市伊豆長岡町出身)は 日本人義勇隊長として実力者となり、 ソングタム王の寵愛を受け、オークヤー・セナピムックの爵位を授けられた。 ここは当時の日本人村があったところ 1935年(昭和10年)バンコクに設立された泰(タイ)日協会がオランダの 東インド会社の文献に基づき、 日本人町跡を発見し、日本人村・泰日協会展示館建設や アユタヤ歴史研究センター(別館) 管理を行って来ている。 |
![]() |
アユタヤ遺跡 バンコクから北へ72Kmバスや車で約1時間30分 1351年初代ウートン王がこの地にアユタヤ王朝を開く。歴代30人、400年を超える 栄華の時代を築く。1767年ビルマの攻撃を受けて幕を閉じる。 南北4Km、東西7Km、 ワット・プラ・マハータート 寺院の建築は、中央にロッブリー様式の大きな仏塔があり、その回りを小さな仏塔が囲み、その回りを回廊が囲んでおり、礼拝堂と仏堂が東西にあったと推測されている。 |
![]() |
![]() この仏像の頭は木の根の成長とともに持ち上げられたという |
![]() 頭部のない仏像がたくさん |
ウィハーン・プラ・モンコン・ポピット ブロンズ仏は高さ17m、体内から100体の小仏像が出たという この寺院もビルマ軍により破壊されたが1956年、ラーマ5世やビルマの寄付で再建されたそうだ。 |
![]() |
ワット・プラ・スィー・サンペット 1491年王室寺院。セイロン様式の朽ちた3仏塔が有名である 当時アユタヤーで最大規模を誇り、アユタヤー王朝の王宮としても使われていました。 しかし、他の建造物と同様に、1767年ビルマ軍によって破壊され、 現在は仏塔3基しか残っていません。 |
![]() |
![]() |
![]() |
バンコクの寺院 | バンコク郊外 |